炎の章(戦国−江戸)

(一) 
 
《永禄二年七月十日(旧暦)》
 このごろは、鎌倉街道を早馬が走り抜けたかと思うと、たくさんの足軽兵たちが道いっぱいに広がってだらしなく通り過ぎる姿をよく見かけるようになった。戦のしたくをしていることは農民たちにも分かっていた。駿河の国の大名である今川義元が京を目指して動き出すという噂が聞こえてきたのである。もし、戦になれば、農民たちも槍を持って足軽に加わらなければいけない。戦が長引けば、稲の刈り取りもできなくなってしまう。農民たちは、戦はこりごりだと思っていた。
 ちよは本地村の農民の子だった。ある日、父が困った顔をして話してくれた。
「信長様から、城を作れというご命令が出たんだ。」
「清洲のお城を大きくするのかしら・・。」と、ちよが尋ねると。
「いいや、鳴海城と大高城を攻めるための砦らしい・・。なんでも、近いうちに大きな戦が始まるらしい。そのために、ここいらに砦をたくさん作って敵を防ぐおつもりらしい。」
「戦になったら、この村はどうなっちゃうの?」
 
父は黙ったまま、何も答えなかった。
 このあたりは、三河の松平がおさめる大高城と、鎌倉街道沿いの鳴海城があり、この本地村はそれらのきな臭い地域のすぐ近くにあったのである。
「信長様は、松平がこちら側まで攻め込んでくると思っているのだろうな。」
「戦はきらい・・。たくさんの人が死んでしまう・・。たくさんの花も踏まれてしまう・・。鳥たちも逃げてしまうわ・・。」
「でもな、ちよ。今は戦の時代なんだ。おらたち農民は、黙って五穀を育てるしかない。」
 ちよは、いたたまれなくなって家を飛び出した。そんなときは、決まって星崎の宮の森の中で時間を過ごすのだった。
 ちよがいつも座る石に腰をかけて、あゆちの海の方をぼんやり眺めていたとき、突然、景色がゆがんだ。ゆがんだ景色の向こうを、何か大きなかたまりが、早馬より速く走り抜けて行った。ちよは自分の目をこすってみた。何度もこすってみた。すると、今度は、頭にやまぶきのような色の頭巾をかぶった、自分と同じ年頃の子どもたちが楽しそうに歩いているのが見えた。
「なにかしら・・・。妖怪?」
 ちよが目をつぶって、大きく息を吸い、再び目を開けたら、いつもの静かな星崎の宮の景色に戻っていた。

《平成16年8月25日》
「あーあ・・もうすぐ夏休みも終わっちゃうじゃん。」
 
たけしはトワイライトスクールに行く途中で、大きな独り言を言ってみた。宿題はほとんど終わっていたが、社会の個人研究だけがまとまっていなかったのだ。6年生のたけしは、織田信長についてまとめようと考えていたのだが、博物館へ行ったり、インターネットで調べてみたりしても、自分の気持ちがすっきりするような資料を見つけていなかったのである。
 トワイライトスクールからの帰り道、仲のいい友達数人と星宮社の前を通りかかった。たけしが、ふと星宮社の境内に目を向けると、着物を着た女の子が座っていた。
「おい、こうじ・・あの子・・」と友達のこうじに呼びかけて目を戻すと、もう女の子はいなかった。
「たけし、なんだよぉ!」ゲームの話に熱中していたこうじは、半分怒りながらたけしの方を見ると、たけしが立ち止まったまま境内のほうを見ていることに気がついた。
「今さぁ・・着物を着た女の子が・・いたんだ・・。おっかしいなぁ・・」とたけしがつぶやくと、
「お化けだよ。それ。」とこうじがあっさり返した。納得できないまま、たけしは家に帰った。
 夕飯のとき、たけしがいつもより静かなことに気付いて、父が話しかけた。
「たけしー。昼間におかしを食べ過ぎたなー」と笑う父。
「あのさぁ・・父さん。今日の昼間にね、星宮で女の子を見たんだ・・。」と、たけしは父に昼間のことを話してみた。
「へー、だれだったんだ?同じ組の子かい?」父はたけしの顔をのぞきこむように身を乗り出してきた。
「それがさぁ・・・全然見たことない子で、おまけに着物着てたんだよ。」
「夏休みだから、親戚の家に来て、浴衣を着て遊んでたんだろう。」と相変わらずたけしの顔をのぞきこむ父。
「でもさぁ・・・消えちゃったんだ。突然・・。」
「そりゃ、興味ある話だなぁ。」しばらく何かを考えていた父は、
「よし!今から星宮さんまで行ってみるか・・。」とたけしに言った。
 
なんとなく行っても無駄な気がしたたけしは、
「いいよ・・たぶん気のせいかもしれないから・・。」と断った。